あの日、新人研修1年振り返りの休憩時間、喫煙所で煙草に火を点けようとしていたときに揺れ始め、
「揺れとるねー」
なんて言っていたら建物がギシギシ鳴り出したので、そこにいたみんなで「こりゃヤバい」と屋外退避。
タンクローリーがユッサユッサ揺れているのを見たのはその時が初めて。
それからなんやかやあり、初任の地を離れ北の大地に移り住んでもうすぐ3年。
農家さんには申し訳ないが、未だに、福島や北関東の農産品は手に取らないし、口にしないように心がけている。
風評被害だとか言われても、
それを、誰が証明できるのか。
自分がいる場所は、ネガティヴコントロール。
人類が経験したことのない長期実験(実質2回目か)のネガコン。
福島原発から遠ざかったところでの人間の成長を観察。
どうなることやら。
何も変わらなければ、それでいい。
関東に残った子どもの将来に何か
あった時、ああ、よかった。
と安堵するかもしれない。
それはそれ。そのときに。
あの日奪われたたくさんの命、そして未だ見つからぬ御霊が安らかならんことを祈ります。
故郷に帰ることを諦めざるを得なかった多くの被災者に。
それぞれの考えのもと、当時の生活を捨てざるを得なかった人々に。
これからの生活に不安を感じる皆様に。
幸多からんことを。
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