『自分は将来、日本料理の板前になる』
と、思っていた時期がある。
小さい頃から料理は好きだった。
何歳かは忘れたけど、およそ包丁を一人で扱うには危ない歳の頃から、
「林檎が食べたい」と言えば、
「自分で剥きなさい」と、果物ナイフとチラシが渡されてた。
そんな家庭で育った。決してネグレクトされてた訳では無く。ちゃんと剥き方を教えてくれた。
おかげさまで、林檎は上手に剥けるようになった。
そんなんで、家庭で料理をする機会もそれなりに多かった。
近所に、卒業と同時に調理師免許を取得できる高校があって、そこに入学した。
だって、勉強なんて嫌いだったし、わざわさ朝の満員電車に乗ってまで勉強をしに高校に行くなんて選択肢は自分のなかには無かった。
かと言って、中卒で働く気もなかったし。
だったら、自分の好きなことで手に職つけられるところに行こう。と思った。
調理実習やら座学やら、3年間それなりにお勉強。
でも、ややあって、大学に行きたい。って思った。
勉強したよ。嫌いだけど。
逃げてたんだよね。職に就くってことから。
18歳で仕事を始めるってさ、怖いよ。自分には。
料理の道で生きるなら、早くに始めた方がいいのは当たり前なんだけと、自分には覚悟が足りなかった。
遊びたい っていう思いが強かったんだよね。
だから、色々と理由をこじ付けて、大学に行ったよ。
食品に関する勉強したし、研究もしたし、
どういうワケか大学院まで進んでしまったけど。
その後は、食品製造業の研究開発職に就いて、3年働いて、
家族もできたけれど、
3年前に、地球が身震いしたおかげで、
子供の将来への影響が未知数だから、関東から離れることにした。
大冒険。
次の仕事見つける前に離職。
順番間違えちゃったよ。
今は何とか仕事について給料も得ているけど。
食品とはかけ離れた仕事だけれど。
高校の家庭科の授業で、【将来設計】ってのをやった。
その時に描いた未来。
おふざけで描いた気もするけど、
『45歳で独立(店を持つ)』
大学の同期と、しょっちゅう温泉に行って、そんな話をしていたら、なんとなく、45歳で店を持つ っていうことだけは、ぼんやりと心に残ってる。
もう、調理師免許を取得してから10年が経ち、当時の知識や技術も薄れ、一言で言えば「腕が錆びて」しまった。
料理は日頃しているけど。
人様からお金をいただけるような物を作れる自信はない。
漠然としたイメージに追い付けるかな。
いつか、店を持つ。
夢。と言うには、追いかける努力も今のところしていないけれど。
行き着くところは墓ではない。
つまり、夢とは、
即ち生きること。
なーんてね。
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