「地球のために」
とか、
「森が泣いてる」
とか。
そういうの。あんまり好きじゃない。
いくら地表で人間がやれ炭酸ガスを大量放出しようが、やれ化石燃料を掘り尽くそうが、
これまで何十億年も存在していた地球にとって、痛くも痒くもないことでしょう。
私には目を閉じても地球の泣き声など聞こえません。
百歩譲って、森が泣いてる ならば、森林伐採で森の生態系が一掃されてしまうから、恐らくは悲しみを抱く者たちも居るでしょう。
しかしながら、森が切り拓かれていくサマを直接見る機会は滅多にないし、
ゆんゆんしているわけでもないので、あまりその、森の泣き声なんて聞こえません。
大体の人が、地球の泣き声とやらを聞いたことはないと思うんですよ。
泣いている「気がする」という人はそこそこいると思うけど。
「大量生産・大量消費・大量廃棄をやめましょう。地球にやさしく!」
最後の一言が、きらい。
なんか、責任を転嫁してる。
「大量生産・大量消費・大量廃棄をやめましょう。
資源がなくなってゴミが増えて、自分(達)が住みにくくて困るから。」
これくらい、自分本位で書いてほしい。
誰だって、進んで困りたくはないだろうし。
「自分が(も)困るのよ?ちょっとは配慮してよ。」
これくらいのスタンスの方が、好き。
募金活動とか見ても思うけど、
「○○の子どもたちを助けるためにご協力をお願いします!」
って、否定はしないし、むしろ素晴らしいことだとは思うんだけど、
そういう活動をしている大学生に、
「あなたは何のために、この活動をしているの?」
と聞いたら、
「○○の子どもたちを助けるために」と。
そうじゃない。僕が聞きたいのは、
「なぜ、○○の子どもたちを助けたいのか?」
ということである。
それをすることで誰が満足するのか?
当の本人でしょう。
それでいいと思う。
むしろそうでなければおかしい。
活動する。→誰かが助かる。→本人も満足。
いいことずくめ。
だけどそれを人は 偽善 という。
それでもいいと思うの。
やらない善より、やる偽善
って言葉もあるくらいだから。
「エコ」なんて、自己満足の「エゴイズム」なんだから。
その結果が環境保全であったり、貧困者の救済であったり。
闇雲にエコと叫んで息苦しくなるよりも、
エゴを押し通して自分が暮らしやすくなればいいんでないかな。
などと思うの。
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