2014/09/02

エコ は エゴ。ならばエゴでエコ。

エコ という言葉はあまり好きではない。


「地球のために」


とか、


「森が泣いてる」


とか。


そういうの。あんまり好きじゃない。






いくら地表で人間がやれ炭酸ガスを大量放出しようが、やれ化石燃料を掘り尽くそうが、

これまで何十億年も存在していた地球にとって、痛くも痒くもないことでしょう。

私には目を閉じても地球の泣き声など聞こえません。


百歩譲って、森が泣いてる ならば、森林伐採で森の生態系が一掃されてしまうから、恐らくは悲しみを抱く者たちも居るでしょう。


しかしながら、森が切り拓かれていくサマを直接見る機会は滅多にないし、

ゆんゆんしているわけでもないので、あまりその、森の泣き声なんて聞こえません。


大体の人が、地球の泣き声とやらを聞いたことはないと思うんですよ。

泣いている「気がする」という人はそこそこいると思うけど。


「大量生産・大量消費・大量廃棄をやめましょう。地球にやさしく!

最後の一言が、きらい。


なんか、責任を転嫁してる。


「大量生産・大量消費・大量廃棄をやめましょう。
資源がなくなってゴミが増えて、自分(達)が住みにくくて困るから。


これくらい、自分本位で書いてほしい。


誰だって、進んで困りたくはないだろうし。


自分が(も)困るのよ?ちょっとは配慮してよ。

これくらいのスタンスの方が、好き。


募金活動とか見ても思うけど、

「○○の子どもたちを助けるためにご協力をお願いします!」

って、否定はしないし、むしろ素晴らしいことだとは思うんだけど、

そういう活動をしている大学生に、

「あなたは何のために、この活動をしているの?」

と聞いたら、

「○○の子どもたちを助けるために」と。


そうじゃない。僕が聞きたいのは、

「なぜ、○○の子どもたちを助けたいのか?」

ということである。

それをすることで誰が満足するのか?

当の本人でしょう。

それでいいと思う。

むしろそうでなければおかしい。

活動する。→誰かが助かる。→本人も満足。

いいことずくめ。

だけどそれを人は 偽善 という。

それでもいいと思うの。


やらない善より、やる偽善


って言葉もあるくらいだから。


「エコ」なんて、自己満足の「エゴイズム」なんだから。

 
ならば自分のやりたいことをやって、利益を得る(満足する)。

その結果が環境保全であったり、貧困者の救済であったり。


闇雲にエコと叫んで息苦しくなるよりも、

エゴを押し通して自分が暮らしやすくなればいいんでないかな。

などと思うの。


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